【コラム】日本人のタトゥーへの意識が変わる日はいつか?

【コラム】日本人のタトゥーへの意識が変わる日はいつか?
 

刺青・タトゥーについて揺れる国内事情

かつて程の”タブー”では無くなってきているとは言え、日本社会においてはまだまだネガティブなイメージが付き纏う刺青、タトゥー。(以下本記事ではこれらをまとめて「彫りもの」という表現で統一。厳密には和彫りのみを差す言葉のようだが、利便上この表現とする。)外国人観光客の増加や五輪開催を控え、以前は入場禁止とされることの多かった公共浴場やプールではルールの緩和も見られるが、これは根本的な”日本人の彫りものアレルギー”を解消する訳では無さそうだ。その証拠に、近年では海水浴場でも規制されるケースが出てきており、つい先日には下記のようなニュースも報じられた。


静岡県下田市の爪木崎海岸で今夏、海水浴場でのタトゥー(入れ墨)の露出や大音量の音楽などの規制が試行される。


引用元:
朝日新聞DIGITAL

日本社会におけるこの”彫りものアレルギー”、和らぐ日は来るのだろうか?今回はこの点を考えてみたい。

まず、率直に結論から。現在筆者が考える「日本人の彫りものへの意識が変わる時」はいつか、それは「彫りものを入れている側の人間が、同じく彫りものを入れた素行の悪い者を批判する風潮」が定着した時と考える。そもそも現在根付いているネガティブなイメージというのは、「彫りもの=アウトロー、反社会的」というイメージが強いからであり、またそのイメージ通りの素行を取る者が一部いることが原因と言え、「彫りもの」そのものが悪い訳ではない。

実は刺青は一般的だった江戸時代

日本での彫り物の歴史を調べていくと、古くは縄文時代からその風習があったとか、アイヌ民族や琉球でも風習があった、という話が出てくる。が、特に重要と思われるのは江戸時代における刺青文化だ。「昔は犯罪を犯した者が顔に入れ墨を入れられていた」という話は語られがちだが、それと同じ時代にポジティブな意味での刺青も存在していた。例えばふんどし姿で仕事をする鳶、消防、飛脚などの職種の者は衣服代わりに刺青を入れており、江戸の粋な風習として根付いていたようだ。また、歌舞伎役者などは舞台の一幕で彫りものを披露することもあったようで、この辺りはアーティストやスポーツ選手のタトゥーに憧れる現代にも通じる部分があるかも知れない。

その後明治時代には近代化を目的に刺青は法的に禁止→第二次世界大戦後GHQによって解禁、という経緯を辿ったと言われている。と、この辺りから「一度法律として禁止されたもの」「禁止されたことで地下に潜っていったであろう文化」と徐々に現在に通じるネガティブな要素が出始める。更にそこへ1960年代以降のヤクザ映画により彫りもの=その筋の象徴というイメージが広まり、1992年には暴対法が試行されるなど世間からの暴力団組織への風当たりも強まったことで、”彫り物=その筋=タブーなもの”という図式が完成したものと推測出来る。

現在の日本で刺青・タトゥーを入れる一般人には、①上記のようなアウトロー的な意味合いを求める人 ②ファッションや自分の信条など非アウトロー的な理由で入れる人 と大きく2つのタイプが存在すると言えよう。②の人ばかりであれば、江戸時代のように人々の生活に溶け込む文化となり得るだろうが、①の印象が強いままではそうもいかないはずだ。

タトゥーそのものが悪い訳ではない

冒頭での下田市の海水浴場のニュースにしても、結局「彫りもの」の風当たりを強くしているのは、長年蓄積されたネガティブなイメージ通りの素行を見せる一部の”入れている側の者”な訳で、そこに目を向けず「偏見を無くせ」と叫ぶだけでは状況が変わるとは考えにくい。実際に、規制をしてこなかったあるプール施設ではそういった者が集まりトラブルが増加、結果として規制に動いた、というケースもある。 「彫りものが入った客を規制する施設」も「彫りものを怖いと感じる利用客」も「偏見をなくして欲しい②の人」も、「かつてのネガティブなイメージ通りの振る舞いをする彫りものを入れた者」が原因だとすれば、互いに批判すべき相手を間違えてはいないか? だからこそ、同じ”入れている側”の立場の者が素行の悪い者を批判する風潮・世論が必要だということだ。日本人が抱える”彫りものアレルギー”の本質はそこにある。

和彫りにいたっては海外での人気もあり、かつては庶民にも愛されていた文化。それ故現在の日本の状況は「もったいない」という気もしてしまうが、人々の意識が変われば江戸時代のようになる日がまた来るかも知れない。繰り返すが、”彫りものそのものが悪い訳ではない”のだ。

※今回は、そもそも刺青やタトゥーがあるだけで入場を規制すること=外見で規制されることの是非については触れていません。そういった判断がなされている現状を前提として受け止めた上での内容となっています。ただその点について言うならば、例えばL.A.のフッドで「ギャングお断り」というお店に真っ青(真っ赤)なコーデで行ったら、入店を拒否されてもおかしくはないでしょう。「私はギャングじゃない、好きで着ているだけだ」と言っても拒否されてもおかしくないですし、個別に判断出来ない以上施設側は全体を規制するしかない、それは仕方がないことかと思います。